朝から目覚めたリキは朝食を満喫して観光へ出かけるのでした。
朝に目覚めたリキはしっかり朝食を食べて観光へ
向かった先は前回行けなかったトゥールスレン虐殺博物館
場所はこのへん
ホテルからの距離は3.8km 約10分
Grabのトゥクトゥクで移動して1.5ドル(約200円)
博物館の前に到着した時刻が朝の8時半ぐらいだったかな?
8時から開いているようなので、すでにチラホラ外国人の姿が見られます。
早速入口で10ドル(1,350円)を払って入場券をもらい、入場したところで音声ガイドを受け取り中へと入ります。
入ったら周りを建物に囲まれた公園みたいな場所で、音声ガイドの番号がある場所で止まって解説を聞きながら進んでいきます。
今回訪れたトゥールスレン虐殺博物館
こちらはポルポト政権の1975年~1979年の期間に、17,000人もの方々が拷問、虐殺された場所となります。
しかも元々が学生たちが通う学校だったというのも、悲劇的に思えてなりません。
ポルポト政権時代の1975年~1979年の間に、当時のカンボジア人口780万人の4分の1にあたる150万人~200万人が虐殺されたと言われています。
ちなみに第二次世界大戦(1939年~1945年)での日本の戦死者は、人口7200万人の約4%にあたる軍人230万人、民間人80万人の合計310万人になります。
おわかりになるでしょうか?
戦争よりも短い期間において、戦争と同じぐらいの人の命が奪われることとなったのです。
そんなポルポト政権での虐殺の過去を感じられる場所でもあります。
虐殺の過去と表現しましたが、実は過去とも言えない部分があります。
ポルポト政権で最後の生き残りである元幹部の裁判が昨年2022年9月に行われ、終身刑の判決が出されました。
日本で戦争と言われると1945年なので過去の出来事になりつつある部分もありますが、カンボジアで虐殺があった1979年だと45年前ぐらいの話
道端で見かける50歳以上ぐらいの方々はあの虐殺から生き残ったのです。
そう考えると妙にリアルに感じます。
館内ではポルポト政権の幹部たちの写真だけではなく、収監されて拷問、虐殺された方々の写真なども多く展示されていました。
個人的にはそんな方々の魂に敬意を払い、写真などの撮影はせずに頭の中へ鮮明に焼き付けてきました。
そんな衝撃的な館内を見学した後に、中庭の木陰で涼みながら音声ガイドを全て丁寧に聞きました。
同じように音声ガイドを静かに聞いている外国人の姿を見かけましたが、日本人の姿は全然見かけませんでした。
「日本人はこんな感じの場所には興味がないのかな?」
少し残念な気分になっていたところで音声ガイドも終わり、返却して博物館を後にすることにしました。
音声ガイドを渡して外に出るところで・・・
「ガイドありがとうございました。」
ふとそちらを見ると若い感じの日本人男女数名が、案内してくれたガイドさんにお礼を言って博物館を出ていくところでした。
「日本の若い方でも興味を持って博物館を訪れ、そしてあんなに心地よい感じでお礼を言っているのを見ると同じ日本人として嬉しく思うな」
過去に大虐殺があったカンボジア
そんな歴史がありながらもカンボジアの人々は、毎日明るく生きている
カンボジアの方々だけでなく日本やその他外国の方々が過去を学び、将来このような出来事が2度と起こらないことを心から願います。
つづく・・・
今回は笑いの要素が全くない、真面目な旅行日記となりました。
観光地やその国の歴史的な事を知るのは好きなので、個人的にはこんな感じの旅行日記も好きです。
今回カンボジアの訪問は3度目になりますが、初めて訪問したのはアンコールワット観光のための訪問でした。
カンボジア=アンコールワットみたいなイメージしかなくて
「ポルポトって名前は知ってるけど、大統領か何か?」
みたいな知識しかありませんでした。
初訪問の際に知り合った日本人の方に虐殺の話を聞いて、それからカンボジアの歴史などを知ってプノンペン訪問の機会に訪れました。
せっかくなので訪れる国の歴史、文化、食事や人なども含めて好きになれたらいいなと思います。
コメント
広島、長崎の原爆資料館もそうですが、そういう資料館に行くの好きです。
今さらどうする事も出来ない歴史上の悲惨な事実ですが、
実際に訪問し、目に焼き付け、何かを感じることが大切だな、と思います。
笑いの要素が全くない、真面目なコメントとなりました。
バッカスさん、コメントありがとうございます。
過去の歴史を学んで何かを感じることは、凄く大切なことだとあらためて思いました。
楽しく遊びに行くのもよいですが、せっかくなのでその国の事も学んで色々な方に知ってもらえたらなぁと思って書いてみました。